呪われた出生かと思っていたあの頃
今はアラフィフ、女性。私のブログは知らない人限定にするつもり。
だから今までの事全てを詳しく書いていく。
理由1:息子に愚痴らない為。
理由2:こんなに色々あっても、笑顔で生きてる。今苦しい人が、自分もきっと
大丈夫 と思って、
元気になる人が居たら、嬉しいから。
ある女の自伝。誰が興味あるかい!
こんな波乱万丈でも学ぶ事でポジティブな性格に変える事もできる
という実話は興味ある人も居るかも。
ポジティブでもまだまだ発展途上。
私は生まれた時から呪われているのかと幼いころ思ってた。今は自分で決めてきた
シナリオ通りに生きている説を信じている。
~ある島に母は住んでおり、母は自分の母親と話していた。母の座っていた座布団は
突然血で真っ赤だったそう。あいにく、その日はお医者様は島に居ず、しかも台風で船は欠航中。
母の為に海上自衛隊が本州に運んでくれて、私たちは一命ではなく二命を取り留めた。前置胎盤だったため帝王切開で私は生まれた。今ではそれに関わってくれた方々に感謝でいっぱい。ありがとう!
じゃあなぜ呪われた出生だと感じていたかというと、
島の人は「あなたを生むときお母さん大変だったんで。あんたのせいで死にかけたんよ。」って言い方の人もいたし、、、母も「あの不快さはなんとも言えんかった。1番きつかった。」と真顔で言っていた。
お風呂で母の傷を見るたびに、自分が生まれたせいで、あんなむごい傷跡ができた。と小さい胸を痛めていた。
もちろん、みんな悪気はない。
本当は「こんなかわいい子が生まれたから、良かったよ。」って抱きしめて欲しかったな。(インナーチャイルドより)
でもねそのおかげで、我が子には、「あなたたちを産んで、嬉しいよ」と抱きしめて
あげるいい親になれたんだ。
スタートからしてなんだか苦しい人生設定だったが、
その事実と自分がそれをシナリオに書いてなぜ生まれたのか因果関係がある。
母に親に、子供は望まれて生まれて来たと口に出して言って貰わないと自信がない子もいる。
母親の態度がとても大事。それを自分が学んで、我が子にそれを実践して、その後の人生で沢山出会う子供たちを傷つけない先生になれたんだ。
あなたの出生が理不尽なスタートだったとしても、貴方はそこから何かを学んだはず。損はしてない。それがパーフェクトな人生のスタートラインだったんだ。
今はそう思えなくていい。でも、どうやら、自分で出生に関しては100パーセント決めてから宿命として生まれて来るらしいよ。